2006年09月01日

土佐の高知 浦戸船大工棟梁

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高知へ和船を見に出掛けた。芝藤さんのブログ http://diary.jp.aol.com/556hcmcxuny/ がご縁である。今回は1泊旅行だったけれど、中身の濃いものになった。

写真は浦戸の船大工棟梁弘光さん(78歳・左)と伯方の船大工棟梁渡邊さん(74歳・右)、二人の間の船は現在芝藤さんが手掛けているもの(その様子は芝藤さんのブログでご覧じろ)メモリアルな2ショットである。

浦戸湾に浮かべる船は高い波を意識しなくても良い構造なので、船首が低く抑えられいて長さの割には胴太であり、釣り遊びなどには使いやすそうな形だ。

土佐の歴史資料館では収蔵庫に格納されていた四万十川の三枚舟を見せていただいた、三枚舟とは、底板と棚板(側板)二枚で造られている船を言う。川舟は大中小の三杯造られていて、恐らく舟降ろしで浮かんだ後は未使用のサラだ、余りの美しさに「隠し撮り」も忘れて見入ってしまった。こんどは許可を貰ってちゃんと撮影しよう。

仁淀川の川舟も幾隻か現物を見ることが出来た、こちらは川舟にはめずらしく五枚構造だ、五枚舟とは言わない、和船はおおかた五枚の板で造られているものなのだ。川舟は吃水が浅い方が使いやすいので三枚にするのが一般的だ。

何故、仁淀川の川舟が五枚なのかこんど現地の人に伺ってみようと思っている。

こちらは、こんど三枚の一丁櫓を造ろうと思い始めている・・・
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2006年08月20日

遅ればせながら・・・

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「戦闘海域」は1週間も前に終わっていたのだが、相変わらずのものぐさで未だ瀬戸内和船工房のホームページに競技リポートも出していない・・・疲れちゃったのであるよ。マッタクだらしないね。

・・・三艘の舟が一斉にスタートし、それはあたかも村上水軍が海働きしているような絵巻が目の前で再現されたのだ!レースの中である時には真ん中の舟が頭一つ飛び出したときなどは、まさに「海上挟撃戦」そのものに見えた・・・ここは村上水軍の「海郷」なんだなあと、数瞬の間、ぼくは歴史を遡り物語の中に入っていたような真夏の出来事だった。

ぼくのわがままにたくさんの人が長い間一緒になって本気で頑張ってくれて、夏の海に素晴らしいドラマが生まれた、みんなに感謝感謝。本当にありがとう。
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2006年07月26日

脈絡ないけど・・・

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いささか旧聞になるけど、「隼」「尊」「曉」の三杯が揃ってフレームに収まるのは最初の出来事だ。まもなくこの三兄弟は戦闘海域で骨肉の争いを繰り広げることになる・・・このスリーショットは7月22日の朝、NHKニュースで全国に紹介されたシーンである、舟は早朝の陽に黄金色に輝きとても美しかった。

和船は幾度見ても美しい(と、ぼくは思っている)、かたちの美しさはもとより、理知的な流線曲面や流体力学の美しさとか、適材適所のいろいろな木質が組み合わされた肌の美しさとか、舟釘が穿たれたリズミカルな目隠とか、平面と直線とがほとんど無いもののかたちが生み出す緊張感とか・・・匠の洒脱、かたちのエスプリ、午後の紅茶・・・おお今朝はまたなんて詩人なのだろう・・・ついでに戯れ歌を詠んでみちゃおう。(一種のワープかな)

早緒切れ海に投げ出された船頭見栄はって詠む「もんどりうてばなみのまにまにみえつかくれつ富士の高嶺よ」と、これは駿河の船頭。高知は桂浜の船頭が落水したら「月の名所は桂浜鯨潮吹き海生温し」ってなところかな。

久々のブログ、目下のところ連日「鵜島一丁櫓競漕大海」の準備に追われ大わらわ、こんなに忙しくするんじゃなかった、トホホ。小人閑居して不善を為す、よく言ったものだ、拙僧西門寺暁海、これ全くの不全じゃ。
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2006年07月11日

鵜島一丁櫓競漕大海

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取り敢えず、鵜島一丁櫓競漕大海のオフィシャルTシャツをご覧じろ。アディダス黒のTシャツに胸元に瀬戸内和船工房と舟宿ひなのロゴ、背中には四杯目の二丁櫓帆船のシルエットです。「大海」(大会のつもり)は最初1日だけの予定だったのですが、12日に予選、13日に決勝戦と2日間に渡り開催することになった。「戦闘海域」なんちゃって、気分はすっかり海洋劇画調なのです。
「神戸伝馬船競漕会」とは、旧神戸商船大、現在は神戸大学海事科学部の伝馬船同好会のみなさんです。もちろん優勝候補筆頭の面々です。
なんか、話しがワープしてますね・・・
またゆっくり書きます。ではねの西門寺
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2006年05月24日

村上水軍の里「鵜島」で開催「一丁櫓伝馬船競漕」

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(写真:瀬戸内和船工房の仲間、神戸大学櫓櫂伝馬船同好会の冬期練習スナップ)

今年、2006年8月12日(土曜日)に愛媛県今治市宮窪町宮窪、通称「鵜島」の南側海域にて「一丁櫓伝馬船競漕」を開催する。この「鵜島」こそその昔、村上水軍の造船所が在った島なのだ、水軍所縁の島で櫓競漕。

因みに、瀬戸内和船工房の船団基地「舟宿 鄙(ひな)」は、何を隠そうこの村上水軍造船所跡地に建設される予定なのである。

それは兎も角、7月上旬には待望の三杯目の一丁櫓「曉(さとし)」が進水するので、「隼」「尊」そして「曉」の三艘の舟があれば小規模ながらも伝馬船競漕が開催できる。そりゃ、景気づけに水軍レースをやらない手はないぜよ!

船小屋の建設準備のために、先月「鵜島」の隣の島「伯方の塩」で有名な「伯方島」へ引っ越してきた。伯方島からならフェリーで鵜島へ10分程度のところだ。ほとんど毎日鵜島へ通っている、島の人口は38人の小さな島だからすぐ顔見知りになってしまう。

ぼくも最初は人見知りするけれど人なつこくてすぐ慣れるから、誰とでも友達になってしまう、島の人たちとアレコレと話しをしているウチに「伝馬船競漕」をやろうと言うことになった。

「鵜島」の猛者は2005年の「水軍レース」覇者である、「水軍レース」と言えば「ザ・レース」と言われる全国規模の櫓船競漕の大会である。そのビックなチャレンジカップを昨年の夏は人口38人の鵜島が奪取した。このニュースは全国の津々浦々を駆けめぐり、「瀬戸に鵜島あり、鵜島に疾風あり」の噂をのこした・・・それやこれやで村上水軍の末裔が燃えている。

「一丁櫓競漕」、これぞまさに真の王者を決める競争だ、何故なら、「水軍レース」は五丁櫓を10人で漕ぐ団体戦なのである、それに比して一丁櫓競争は個人戦なのだ。

今も昔も真の王者はひとり、その真の王者を決めるのがこの夏鵜島で開催される「一丁櫓伝馬船競漕」である、乞うご期待。

尚、この一丁櫓競漕は招待参加方式なので、誰でもエントリーできるわけではない。参加資格は五丁櫓団体戦の「水軍レース」の成績で決められることになる。スポンサーは「舟宿 鄙」なので、「鄙インビティーショナル」と言ったところか、お楽しみにね。





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2006年04月13日

「舟降ろし」と「甲羅上げ」

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二艘目の櫓船「尊」(たける)が進水しました。船小屋の建設は暫く時間が掛かりそうなので、取り敢えず先に進水した「隼」(はやと)と材料置き場に居並んでいます。この写真では良く解らないのですが、昨年の12月進水した「隼」(下)と今回進水した「尊」(上)の木質色が微妙に違っています。僅か4ヶ月の時間差ですが、「隼」の船体には時間が感じられて僅かに気色ばんでいます。

4月末には、三杯(艘)目の櫓船「曉」(さとし)甲羅上げ(船の起工式のようなセレモニー)も終わり、夏の初めには三杯の兄弟櫓船が揃います。船は暫くチューニングされて、夏の終わりのころには船小屋建設予定地の海域で櫓櫂競漕を開催する予定、連休も終われば、間もなく海の季節です・・・
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2006年04月02日

国立公園内の船小屋!

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まさに「どうするつもり」になってしまった。瀬戸内和船工房の船小屋を建設しようと、二年間掛けて探し、その結果最も理想とする素晴らしい場所が見つかった!バンザイ!バンザイ!で三月の分録(ブログ)ははしゃいで閉めた!。

好事魔多し、日に焼かれた灰色の木質がまぶしいクラシカルなぼくの船小屋は、実現するとすれば、そこは瀬戸内海国立公園の中に生まれることになるのだ。ウソだろソレ、そんな大袈裟な・・・国立公園の中ってお行儀良くしなきゃいけないのでは・・・もしかすると。

マ・サ・カ、その様な大それた貴賓席のような場所でなくともイイ、ぼくとしては建設許可を仰がなければならないような折り紙付きの名勝地でなくとも良かったんだけど・・・その様な場所とはつゆ知らず、土地を手に入れてしまった!

土地登記の直前に友人から指摘されてビックル飲み干した!宅地には違いないけれどその場所は国立公園内なので、そこは猫の額程の土地に適用される都市計画法なんかない、頭上に電線などない「天が土地」なのである。

果たしてこのような敷居の高い天孫が降臨する(古いね)ようなところに、船小屋とか番屋とかニシン小屋とかストリップ小屋とか建てても良いのだろうか・・・どうしよう・・・友人が言うには、瀬戸内海の国立公園内に別荘など聞いたことがないと言う、それホント!

こんな素晴らしいところに本当に船小屋建設の許可なんて降りるのだろうか。

瀬戸内和船工房危うし!とか何とかいっているうちに、待望の二杯目の櫓船が4月12日(大安の大潮)に舟降ろし(進水式のような儀式)があるのだ。船は年間に4杯のペースで建造される、国立公園内の船小屋が速やかに出来ないと船を舫う浜辺すらなくなってしまう・・・どうしよう。
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2006年03月03日

船小屋

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 もう弥生三月になってしまった。まったく早いね、時の過ぎるのは・・・なんて思っている今日この頃、皆様如何お過ごしですか?(知る人ぞ知る、早出しの「如何お過ごしですか」なんだね!きっこちゃん許されてね!)

 二ヶ月以上の空白があったのだけれど、この間三日坊主なんてものじゃなくて1回こっきりで冬眠状態だったので、友達からは「どうするつもり」などと糾弾されていた!坊主が三日だったら止められないらしいけど、三日坊主は飽きちゃうから止めちゃうのだね・・・オットなんだかワケがわかんない。

 さて、この二ヶ月間は実のところブログをかきくけこしている場合じゃなかった、何故かというと、あっちこっちと「瀬戸内和船工房の船小屋」の建設予定地を探し回り、その結果幸にも最も理想的な入江を見つけて(TOPの写真が現場です)、その土地を譲って頂けることになり早ければ今月末にも「鍬入れ式」にこぎ着けようとするところまで事が運んだのである。その様なことでブログがおろそかになってしまった。

 船小屋を建てると言って、ただ単に艇庫を作るのじゃつまらない。瀬戸内和船工房のキャッチフレーズが「海・人・歴史の物語」なんだから、面白くなきゃいけません。船小屋は「誰でも櫓漕体験ができる!」ような楽しめる場所にしたい。

 ぼくがイメージする船小屋はワイエスが描く風景の中に出てくる納屋のような、長い年月の陽に焼かれて銀色に輝く木小屋だ・・・潮風に風化した腰板、やせ細った柱、隙間から漏れさす夕陽・・・素足で暮らす船小屋・・・なんか考えただけでも憧れる。

 今日はここまで@西門寺 南妙法蓮華経

 

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2006年01月02日

「船大工消滅の危機」異説

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 暮れの28日付け全国各地の新聞に、タイトル「木造船大工が消滅の危機」で配信記事が掲載された、以下にその要旨を記述する。

 鳥羽市「海の博物館」の調査は、「和船は需要がないので後継者が育たない、木造船を造ることができる船大工が2005年には全国で240人ほどになってしまい、このままではあと数年で木造船大工の技術は無くなる。」と指摘している。

 当該の記事は、博物館の調査概要をリポートすると言うかたちで、具体的に何かを訴求している訳ではない。読者責任(なんて言葉があるとして)で判断してくれ、とでも言いたげで、内容に関しては責任がありませんと示唆する昨今のノンメッセージジャーナリズムである。

 どうやら、この記者は「瀬戸内和船工房」をご存じないらしい、無理もない・・・。それはさておき「船大工が消滅」というタイトルを読み、船大工さんより先に日本語が消滅して行こうとしている現状を嘆かなければならない。

 「消滅」するのが「和船」ならいざ知らず、船大工さんが「消滅」などとものを指すような言葉を使わないで頂きたい、とても失礼ではないか。

 職人さんには人格があるのだから、「去りゆく」とか「跡絶える」とか人間の体温が感じられるような表現が出来ないものか。いつの間に職業がものに例えられるような即物的文化が蔓延してしまったのだろう・・・ったく。まあ、さう言ふこっちの日本語も怪しんだけどね・・・

 と思う今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。ここで閑話休題。

 昨年の夏の初めに、和船調査のメッカ「海の博物館」を訪ねた。・・・展示されている木造船コレクションが船の数だけ海との物語を囁いてくれる・・・歴史のなかに宿る夢を感じたかったらこのようなドラマティックな博物館でゆっくりと時を過ごせばよい。

 館内を見学している内に、せっかくだから瀬戸内和船工房の宣伝もしたいと思い石原館長をお訪ねした。館長はお忙しい折にも関わらず時間を割き話しを聞いてくれた上に、和船調査の資料などもたくさん頂戴してしまい感謝感激。

 ぼくは決して、瀬戸内和船工房を立ち上げて和船文化を護ろう、なんて考えているわけではない。ただ和船が好きだから造ろうとしている、造ったものは売らなければまた造れない・・・その結果、和船と船大工さんは歴史の舞台から去って行くことはない、と言うことになる。

 ところが、石原館長は和船は消えゆく運命にあるという、消えてくれなきゃ博物館が成り立たないので困ると、悪戯っ子のような顔をして仰った。う〜ん、言えてるなあ、まさにその通りなんだね。かるい自虐とエスプリとの狭間に漂う研究者の意志がかたちになった博物館・・・

 石原館長のジョークをぼくが勝手に解釈すると、なんとまあ「瀬戸内和船工房」はこの名門博物館と対極に位置すると言うことになる。なんかすごいね、おれっちは。

 余談ながら、この博物館は建物が素晴らしいことでも有名である、でもこの話は何れに機会にしよう。関心のある方は、海の博物館ホームページをご覧じろ。

 話しを戻す。新聞によると船大工は危機らしい、しかしそう考えることはもう正しくない。何故なら、和船も船大工さんもこれから先存在し続ける。その一つのかたちが「瀬戸内和船工房」なのだ。全国の和船造船所バンザイ!

 もちろんその対極では、古い時間と共に過ごしたオブジェや物語が博物館の空間に漂いながら存在し続けるのである。「海の博物館」バンザイ!

 年頭駄文とて、めでたしめでたしで結びたい。
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posted by さいもん at 03:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記