2007年01月29日

また、木の話

woods.jpg

土佐は高温多湿、降水量も全国トップクラス。昨年9月以来延べ6日間滞在したが、そのうち4日間は雨に見舞われた。この雨が豊かな山林を造りだす、四国太平洋側の多雨多林エリアで育まれた材木は高知の木材市場へ届けられる。このところ木材市場へ素材を買い出しに行くのが楽しみ。

市場では様々な表情の木に出会う。板や柱にまで加工されているが、やはり木目が見える大きい板が見ていて面白い。さて、目下船小屋を建築中で屋根・床・壁などが出来上がってくると今度は内装、そのようなわけで素材を探している。

いろいろな木目の表情を見ていると想像力が刺激されて、内装プランがあるから素材を探すのではなくあべこべに、美しい木の個性がありそれを活かすための内装プランを考えるようになってしまう。まあそれもまた楽しいではないか。

「適材適所」の由来を旧知の西陣織当代は、「機(はた・織機)」が適材適所という言葉を生んだと言う。確かに、昔の織機は歯車に至るまで木製で、重くて固い木質、しなってもおれない弾力性のある木質、軽いもの、やわらかいもの、と西陣を手織りする機には十数種の木が適材適所に使われている。

コレについては異論があり、木造船の歴史は織機より古く、適材適所でなければ舟は造れん!と船大工棟梁は言う、当然のことながら宮大工棟梁も似たようなことを言うだろう。すなわち、木質の機能論的普遍性をして適材適所と言わしめる。

広辞苑によると、適材適所とは「人をその才能に適した地位・任務につけること」とあるけど、恐らくコレって誤りでしょう。なにげなく人材と言うけれど、人間は材料じゃないよね。

それはさておき、木質素材の多様な文様と色彩を見ていると、木の機能は別な話として、綺麗な木を身近なところに置きたい思わせることは、「木材随所」とでも言おうか、なにかしら適切な表現が見当たらないけれど、コレってわかるよね。

木目と色彩と言っても木の場合は構造色なので光が反射する角度で虹のように輝くのだ。ルビーのような深みのある輝きを持つ「あさだ」(カバー写真が「あさだ」です)とか、真珠の光沢を持つ「もみじ」とか、日差しを受けて黄金色に輝く「ひのき」や「すぎ」などをつぶさに見てゆくとその美しさは「神のなせる技」としか言いようのない世界だ。

話しはワープする。

人間はその昔、森に住みはじめた時から知性を手に入れた(と思いたい)。その意味で人間は木によって育てられたと言っても過言ではなく、「ピノキオ」や「木偶の坊」などその代表格だ。日本の氏に木に関わる姓が多いのも木と人間が密接な関係であることを示している。

更にワープ

子供のころ母に「ぼくは何処から来たの」と訊ねた。母は優しい声で「松の木の下から生まれたから松下と言う名前なのよ」と言った。ああ、そうかそうなのかと子ども心にすごくうれしくなった記憶が甦る・・・

長じて今年還暦を迎えようとする齢になり、子供の頃夢見ていた木に囲まれて過ごすことは、このようなかたちで叶えられつつあるのかもしれない・・・・

きょうはここまで西門寺(松下は本名です)
posted by さいもん at 11:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
本来の意味が織機だろうと船だろうと、「適材適所」が比喩的に人間について用いられることは事実です。
Posted by のれん at 2009年07月10日 19:24
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