2008年05月12日

サクラの木と日系カナダ人の歴史

Sakura.jpg

古びた一枚の写真、いまから30年余り前のこと、カナダはバンクーバー市内の公園に、日系人の手によりサクラが植樹された時の記念写真である。ここに居並んだ人々は日系移民一世・二世の人々なので、なかには第二次世界大戦時にカナダの強制収容所(*1)での暮らしを経験した人々もいる・・・

この写真が撮影された年1977年は、カナダ日系移民百年を記念していろいろな催事が持たれたが、ソメイヨシノを市内の公園などに植樹したことも重要な行事の一つだった。人々は誇らしげに日本のシンボルである桜花の中にカナダのシンボル楓の葉をあしらったTシャツを着て、手植えした。

果たして30年の後2008年、陽春に一斉に咲き誇り数日を経て散ってしまうサクラは今年を最後に伐採されてしまうと言う「春先の珍事」に遭遇しつつある。良く「櫻切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言うけれど、櫻枝を切るのではなく伐採してしまう何とも呆れた話しだ。

木を切る本当の理由は公園を改修するときに邪魔になると言うことらしい、2年後にひかえたバンクーバー冬期オリンピックに備えて、街を美しく整備しようと言うことが、ことの始まりだ。

行政当局はかたちばかりのコミュニティー関係者のヒヤリングを行い、あろうことか、「サクラの木が古くなり毒を発生させているから伐採する」などと支離滅裂なコメントを発している。

当該のサクラが植樹された公園は、バンクーバーの日本人街パウエル地区にある「オッペンハイマー公園」である。公園の名前を聞くと日本人ならギクリとする組み合わせではないか、「オッペンハイマーにサクラ」とは少し刺激的だけれどこれは全くの偶然である。

公園名の由来は兎も角、その由緒あるサクラの木を薙ぎ払うとする行政当局の施策は暴挙以外の何ものでもない。日系移民史そのものを侮蔑するような出来事である。事此処に至り、日頃は穏和な日系コミュニティーの人々もこの寝耳に水のような出来事に黙ってはいなかった。頼もしくも、若い世代が「サクラを守れ」と立ち上がったのだ。

「いまどきの若い人」が熱く燃えて、お父さんやお母さん達が手植えした日加友好のシンボルを守れと連携した。失われた世代とか醒めた世代とか言われているのは日本ばかりではない、がしかしこの国では若い人々が率先して行動した。

そのアクションプログラムの一つに、インターネットで「サクラの木を救うための皆様の署名活動」がある。この場をお借りして、皆様にも以下のリンクをクリックし、是非ともサクラの木を守るための署名をお願いしたい。
http://www.petitiononline.com/powell77/petition.html

ぼくもこの4月に訪晩(*2)した折り、サクラの木を守る関係者と会って運動の末席に参加させて貰うことにした。ぼくにとって、第二の故郷バンクーバーの地域コミュニティー活動に参画して、旧知と共に同じ空間にいることを感じ取ることができるなんて!何と30年振りの出来事なのだ。・・・いろいろな思いが込み上げてくる・・・

ぼくはなんとしてもこのメモリアルなサクラの木々を守りたい。仮に、行政当局の愚挙の挙げ句、歴史的遺産が踏みにじられるようなことがあっても、ぼくらはへこたれずめげずまたゆかりの地へサクラの木を植えてやるつもりでいる。

しかし、いまのウチの声を大きくしてサクラを守れば、カナダの民主主義はそれを受け入れてくれると思う。だから、みなさん是非とも署名をお願いしたいのです。

(*1)
日系人強制収容所についてカナダの名誉のためにも触れ述べておきます。1988年にカナダ議会は、日系人に対して行われた戦時強制収容が誤った政策だったと認め、被害者への補償を行いました。

(*2)
「訪晩」の晩はすなわちバンクーバー(晩香波)のこと。明治の日本人は倫敦、紐育、伯林、巴里などと二葉亭四迷のような当て字を楽しんだが、バンクーバーを晩香波と表記したことは秀逸、港町バンクーバーは夕凪が終わり、海風と共に潮の香りが漂い夜が更ける土地柄なのである。
posted by さいもん at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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