2008年03月19日

海の厳しさ

kobeuniv.jpg

最後に書いたブログが昨年の11月だったから、凡そ4ヶ月振りの独り言になるのだね、皆さんご無沙汰していました、如何お過ごしでしたか?なんてネちょっときまりが悪くもありますね。

極友(すごくワルのお友達)から「ブログどうした」との励ましを兼ねた消息メールが届き返事を出したら、「命運尽きたかもしれん」と半ば本気で思っていたようだ。

西門寺暁海こと船頭松を自称する小生は、昨年の夏の終わりに還暦を迎えた、団塊の世代ド真ん中の人生なのだ。暫くご無沙汰しているといつの間にか「お迎え」が来てしまった友人がいてもおかしくない齢である。4ヶ月のご無沙汰では「逝ってしまったか?」と思われても無理もないことなのかも知れない。

さて、空白の4ヶ月をまとめてご報告(と言って、決して頼まれているわけでもないけれどね)。先ずは冒頭の写真、有田キャプテンが率いる神戸大海事科学部(旧神戸商船大)の伝馬船競漕会メンバーである。ご覧のように、プラスチックボートに艪床を設えて櫓船を押している。

その昔、神戸商船大の古き良き時代には全員が櫓船を押した、当時は正課として櫓漕実技が有り、櫓船を漕げない学生は卒業させて貰えなかったらしい、尤も「竿三年艪は三月」と言って、三月も漕げば体が覚えてしまうのが櫓漕であり、それほどは難しくない。

現在の神戸大海事科学部では、「待った無しで世界の海を相手出来る強い人間を作るために」、「和船文化の存続」などと流暢なことは言わぬ。高度経済成長時代に船舶は大型化高速化して海上交通の危険度が飛躍的に増したから、のんびりゆっくり櫓船を漕ぐなんて場合じゃないのである。

にも拘わらず!と話はワープする・・・イージス艦の事故を見よ!ソルジャーにも拘わらず、弛みきったサラリーマン根性の船員が沢山詰めていたが、誰一人として船乗りの責務を果たしていなかったブリッジが存在したから、当然のごとく悲劇は起きてしまったのだ。

何故こんなことになっちまったのか、ぼくには解るような気がする。それは、軍隊式の団体行動教育ではないかと思う。スキッパーの号令で個性を廃して奴隷のように船を漕ぐカッターボート訓練のようだ。櫂の船は一人一人が推進力でしかなく、「判断力」を持った海の男を育てることはない・・・

それに比べて、神戸大海事科学部のメンバーが設立した伝馬船競漕会の連中は違う、一人一人が船頭の心意気を持って漕いでいる、そこが自衛隊のカッターボート卒業生と違うところなのだ。櫓船の船頭は海に出ると誰も頼らず、全身全霊を傾けて艪を漕ぎ、潮の流れと行き先を見定めて船を走らせている。

ことほど左様に、艪の船と櫂の船とでは違うのである。それはただ単に推進力が、艪=揚力と櫂=抵抗力との違いだけではない、個人と団体、自己責任と集団責任、前向きと後ろ向き、月とすっぽん、味噌とチョコレートぐらいの違いがあるのである。

誤解召されるな、ぼくはだからといってオールを漕ぐ人間がだめだとは言わない、櫂の船もスキッパー次第なのだ。イージス艦のスタッフはスキッパー役すら満足に果たせない、凡そレベルの低いサラリーマンソルジャーだったんだと思う。まあ、余り本気のソルジャーはほしくないけれどね。

おお、なんとこの度はポリティカルなブログでしょうね。ネグリが訪日できないらしいので、このぐらい毒づきたくもナルのであるよ・・・

と、先週ここまで書いて多少品位のない言葉で締めくくったのは拙かったな、まあ、腹立ち紛れに「アホ」などと書いたが、それは誰に向かって叫んだかで意味が違ってくる、余りポリティカルなリードはしたくないけれど、当局がこの度のことでネグリに勲章を贈った結果になったのだから、それを考えるとああやっぱり国際的にお馬鹿さんなのだねえと、呆れたりもしますね。ここは意味不明。

閑話休題

この1月松の内が明けた頃に神戸大の深江キャンパスを訪ねた、海に接したキャンパスにはグランドもあるが「ポンド」もある。ポンドとは船着き場で、そこには神戸商船大の時代から練習船深江丸が係留されていて、艇庫からはカッターとかカヌーとかセールボートとかがバンクから降ろされたりして海に出て行くのだが、未だ冬休みで教官の他は誰もいなかった。

このときに、旧知の教官に瀬戸内和船工房から二艘の櫓船をプレゼントしたいという申し出をした、それは快く受け入れられ2月下旬に船は工房から運び出された。嬉しいことに、櫓船を漕ぐ実技が正課に復活するそうである。

二艘の船のうち一艘は未だ進水式も終わっていない新艇だ、4月上旬に新学期が始まったら進水式を行う予定だが残念ながらぼくは欠席!明日から久しぶりで北米旅行に出る。

四ヶ月振りのブログはもっとリポートしたいこともあるのだけれど、なあに急ぐことはない。それは、瀬戸内和船工房がある鵜島に生まれた「鵜島有機農業組合」のお話や、ぼくの故郷安達太良山麓に作られる「あだたら高原チーズ牧場」の話だ。

ここ四年間ばかりは、伯方島で和船を造ることとその隣の離れ小島鵜島に「船宿ひな」と「瀬戸内和船工房」を建設するのに忙殺された、この間ブログを書く暇もないほど忙しかったのだが、いろいろと手掛けているうちに自然にやらなければならないことが見えてきた。まあ、決して急ぐことはないのだけれどね・・・

posted by さいもん at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/12732564
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック